【読書】どんがら トヨタエンジニアの反骨

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免許を取って一番最初に乗った車はトヨタレビン AE101 だった。
トイチと呼ばれていた。
ハチロクではない。
2ドアでムダに長いドアは、狭い駐車場では乗り降りが大変だった。
結婚して、子供ができて、妻にこの車は乗りにくいと言われ、マツダ MPVに乗り換えた。
その後、MAZDA プレマシー、HONDA FREED といわゆるファミリーカーを乗り継いでいる。

 

本書どんがらは、トヨタのエンジニア多田哲哉氏を中心に進められた Toyota 86 誕生物語。
プラス、スープラ復活物語でもある。

 

スポーツカーは自動車会社にとって、儲からない商品らしい。
トヨタのように大衆車を専門とし、リーズナブルな値段のクルマを多く売る会社にとっては特にそうだろう。
スポーツカーは一部のクルマ好きが買う商品であり、数を見込めない以上採算が合わないのは分かる。
トヨタが最後に作ったスポーツカーはMR-S。それ以来、スポーツカーを作っていなかった。

 

そんな中、会社は、スポーツカーを作ることを多田氏に命じる。
多田氏は、スポーツカーを作りたくて自動車業界に入社している。
最初は三菱自動車、その後ベンチャーを経験し、トヨタにキャリア入社している。
トヨタに入社しても、スポーツカーではない車ばかりを作ってきた。
トヨタがスポーツカーを作っていないのだから仕方ない。
そんな彼にスポーツカーを作れという指令は、どれだけうれしかっただろうか。
それと同時に、多くの苦労も経験する。
1つのクルマを作るだけでも大変なのに、これまでトヨタ内で敬遠されてきたスポーツカーを作るならなおさらだ。

 

実際、多くの逆境に揉まれながら、Toyota 86 が作られていく過程がリアルに描かれている。
富士重工との協業、社内政治、エンジン作りなど、どれも単なるモノづくりという言葉では片づけられない多難ばかりだ。

 

一方で、このクルマは、多くの幸運と、エライ人の理解によって作り上げられたクルマでもあるようだ。

 

エンジン作りにおける、おもしろいエピソードが紹介されている。
Toyota 86とは、作るべくして作られた車なのだなと思った。

「じゃあ、ピストンの径をいくつにして、ストロークを何ミリにすればいいの?」
「ピストン径は八十六ミリだ。ストロークも八十六ミリにするんだね」
多田は「えー!」と声を上げた。
ハチロク! ハチロクじゃないか、なんだそれ」
それはまったくの偶然にすぎない。
彼はそのとき、技術部門の説明をすべて理解していたわけではなかったが、「もうこれでいくしかねぇな」とつぶやいていた。
――これは神のお告げだ。よしエンジンを新しく作り直そう。

 

あこがれるクルマを作られるっていいなと思う。
もちろん、その裏に、ものすごい努力があったからこそ Toyota 86 はできた。

 

ハチロクに乗りたい。